あるベルトの修理

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さきごろ、二十年前のニット製品を修理した一話があった。それは通常の業務範囲を超えたものだったが、可能な事を断る理由はなく当たり前に役割を果たしたのだった。

それから後も修理依頼は少なくなく、多くの方は困った挙げ句に尋ねて来られる。いずれの物も必ず製造工程はあるのに、なぜ修理ができないのだろうか。いや修理ができないのではなく、修理を頼める窓口が見えにくいことが原因なのかも知れない。

とある靴のメイカーは、自社製品以外の修理は受け付けないという。表向きには製造方法の微細な違いが修理の精度を下げるためと言うけれど、その裏にはつまり、顧客の囲い込みをするための付加サービスが無いとは言えない。実際に靴の職人に尋ねると、「完全な元の色や形にはならんが、修理はできるよ」という。そうだろう。いわゆる商業主義が成熟期に達し、サービスという言葉が巷に溢れ、何が本当に必要なのか、どうする事が利用者のためになるのかを見失ったのではないかねえ。

一通のメールが東京から届いた。数年前に購入した革のベルトが不具合を起こしたので修理して欲しい、とあった。ベルトの加工製造をしている職人へ連絡をとり、東京から岩国を経て大阪へ届けると、それは指示した他の箇所まで美しく修繕されて戻ってきた。職人は、自身が手がけた品物を大切に使い続けている人がいた事に、大層感動したのだという。流通業界の過大な競争力が必ずしも良いと思えなくなってきた現代の一幕。

絵と文・ふじたのぶお
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by foujitas | 2009-09-25 18:39 | 洒落日記  

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