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ビスポーク・テイラー

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考えてみると背広という言葉は興味深い。英国はロンドンのセビルロウと呼ぶ細い通りには、古くから名だたる仕立て屋が軒を連ねていて、王族や貴族、また軍人の毅然としたスーツをあつらえる職人が集まっている。

彼らを「ビスポーク・テイラー」という。対話して仕立てるという意味の名前であり、着用する人物の目的や好み、着こなしなど、洋服に関して寸法にとどまらないアドバイスを加え、その人に最良の一着を提供する。いうまでもなく洋服にかかわる造詣は深く、その相談内容は食べ物や競馬、クルマなど趣味にまで及び、おおよそライフスタイルの御意見番といえる信頼感をそなえている。

そんな彼らの店でを好むお客の側も顧客意識が強い。ひとたび気に入った店をみつけたら、ほとんど末裔まで営々と店を変えない。だから小さな店は、いたずらな拡大を目指すことなく何十年と続く。彼の地の紳士たちは、安易にタレントの真似をしたり、恣意的なファッション雑誌に踊らされるよりも、洋服屋と話して自分自身のスタイルを確立しようと考える価値観を美徳にしているのだねえ。

明治以降、欧州の文化が融合した日本は後にアメリカ流儀へシフトし、玉石混淆の歴史をたどった。アイビー時代から岩国駅前で洋服屋として半世紀。日本流ビスポーク・テイラーになれると良いなあ。

絵と文・ふじたのぶお
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by foujitas | 2008-04-25 15:07 | 洒落日記  

靴のお国柄

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実のところ日本における革靴の歴史は、さほど深くない。明治維新を迎え、異国に文明が舶来する以前は、もっぱら草履や下駄。すなわち植物を主たる素材に求めて、履き物をこしらえていたのである。そのころヨーロッパのかの地では、動物の皮革がもつ伸縮性や耐水性、耐摩耗性をすでに利用していた。日本人にとっての起源は「靴」という漢字にもかいま見られるではないか。

同じ欧州にあって、しかし地域によって好まれる靴は異なっていた。英国では頑丈で重厚な靴が流行し、イタリアでは華奢な軽いものが好まれた。

グッドイヤー・ウェルト製法と呼ぶ靴の縫い方は、底革を別仕立てにするもので、底革の取り替えが容易にできる特徴がある。英国では古くから用いられた質実剛健で伝統的な技術。一方イタリアでは、マッケイ製法というシンプル方法でな底革を縫い合わせる。用いるのは、ていねいにナメした上質な牛革。まさしく足にすいつくような極上の履き心地をもたらすのだ。

職人が技術を凝らせて作った靴は価格も高い。高いが一度履いたら、これが病みつきになる。美味しいステーキの味を知ったら、またそれが食べたくなる。人間とは業の深い生き物だねえ。数日前から棚の上に値札を付けて陳列してあるゼニアの白い靴。店主が買ってしまっては元も子もないか、南無三。

絵と文・ふじたのぶお
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by foujitas | 2008-04-18 15:07 | 洒落日記  

競馬

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競馬ときけば、たしまぬ向きにとっては金銭を用いる賭け事として認識される場合が少なくないが、そのルーツをひもとくと想像以上に奥深い。近代競馬のはじまりは二世紀頃ともいわれ、現在の様式になった事実は十九世紀初頭の、やはり英国の古い歴史に刻まれている。日本では昭和二十九年に日本中央競馬会法が公布されて以来、暇なく世間に話題を投じているのである。

英国アスコット競馬場は、かのアン王女の一声で建造された王室が保有する有名な競馬場だ。映画「マイ・フェア・レディ」でも背景に採用されるなど、その優美なムードは世界が認めるところにちがいない。

競走馬を所有する馬主は、大きな財力と高い社会的地位を持ち合わせた人物。昔なら貴族や豪族と呼ばれる人々が集い、持ち馬を競わせるのだから、それはたしかな社交場だった。ダービーハットやアスコットシャツなどが生まれたことからも、当時の豊かな競馬社会が見えてくる。

ターフを駆るサラブレッドを介して存在する裕福な馬主と、新聞と赤ペンを握りしめる競馬ファン。両者にある大きなギャップは、古今東西どこか滑稽なのだねえ。

春の牝馬の第一冠、まもなく桜花賞が開催される。今年は上等なスーツでも着て広島ウィンズでも行ってみるとするか。阿々、小市民。

絵と文・ふじたのぶお
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by foujitas | 2008-04-11 15:05 | 洒落日記  

衣替え

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「こちらは合い物のスーツ生地です」と春先の店で話すことがある。「あいもの」とは春夏秋冬の四季に分けた夏や冬の前に着用する服地、という意味の常用語と認識していた。正確な定義を調べてみると、やんぬるかな大きな誤用。四半世紀も洋服屋をやっていながら身が縮む思いである。猛省。

それは本来、魚河岸において塩干物と分類される、魚の加工品をさす呼び名。鮮魚と干魚の中間程度に乾燥させた、実に美味い魚の干物の事である。居酒屋で肴となるホッケなどが代表的な品物だ。文字もしかり。間物、また正しくは四十物と記す。

言葉の位置づけは似通っているが、現代人が誤用に至るまでには一つのキーワードがあったのではないか。和装にある「袷(あわせ)」の着物。夏に着る「単衣(ひとえ)」や冬の「綿入れ」に対し「袷」は、四月と九月の初旬の短いあいだに使う着物として、武家社会で愛用されたという。いわゆる衣替えの習わしだねえ。

西洋文化が海を渡ってもたらされたとき、かかる古来の慣習は巧みに融和した。魚と衣服の「あいもの」は、どちらも中間を示す言葉として、いつの間にか会話に用いられるようになったではないだろうか。

宮中にて旧暦四月一日の行事として始まった衣替え。ちと気が早いが、そろそろ今年も春の箪笥を開けてみよう。

絵と文・ふじたのぶお
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by foujitas | 2008-04-04 16:13 | 洒落日記