<   2009年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧

 

白い靴

f0227716_17265428.jpg

学校制服には広く謳われる「白い靴」であるが、これが社会に出ると途端に縁が薄くなる。それもそのはず、学生服を制限した理不尽とも思える白い靴は、どうやら運動靴を指していて、大人が白い革靴を履く事とは目的や趣が異なる。

ダークスーツを着用すると、靴はズックではなく革靴。それも黒やこげ茶という濃い色が好まれる。色調を揃えて着こなすことは大切なマナーだから、分別のある大人は当然、そういう選択をするだろう。都市生活者にとって白い靴は、だからほとんどリゾート専用のアイテムとして見られるようになった現代。

しかし日本の洋服史を振り返ってみると、素直に欧州の文化を受け容れていた初期には、麻のスーツや帽子など、夏用の素材やアイテムは数多くあった。白い靴も当たり前に舶来し、当時の伊達男の足元を飾ったのである。今にいうビジネスマン、すなわち当時の商人や政治家たちはみな、涼感溢れる白やベージュの洋服と凝った白靴を好んだ。

繰り返される好不況を越えるごとに、なぜか白い靴は市場から姿を消した。やはり応用性に乏しく、使う機会が少ない割に、価格だけは一人前だから、無用な贅沢品と烙印を押されたようなものなのだねえ。

いま一足の白い靴が店にある。イタリア製の繊細な仕上げは素晴らしい履き心地。定額給付金は使ってしまったので、プレミアム商品券で手を打ってみるか。呵々。

絵と文・ふじたのぶお
[PR]

by foujitas | 2009-06-26 17:26 | 洒落日記  

ワイドカラー

f0227716_172624.jpg

ワイドカラー。正しくは「ワイド・スプレッド・カラー」と名付けられた襟型は、かのウィンザー公が愛用した、大きく開いた襟のデザインをいう。シャツの襟は標準的なレギュラー襟のほか、やや短く仕立てたショートポイント、襟先をボタンで留めるボタンダウン、タイの結び目を持ち上げるタブカラーやピンホールカラーなどがある。

これら代表的な男のシャツの襟型は、もう何百年と基本的な形を変えていない。それほど完成度が高く、国際的に広く認められた証でもある。デザイナーの気まぐれで新たな襟も考案されるが、それらは総じて短命に終わってしまうのが常だった。

ところが近年、思いの外長生きしている襟のスタイルがある。一過性の仕立てとたかを括っていたが、翌シーズンにはバリエーションが増し、ついには異なるメイカーまで採用してしまった。これは、もしかすると二十一世紀になって男のシャツに定着する、最初の襟型かも知れない。

ワイドカラーの襟先にボタンを追加した「ワイド・ボタンダウン」ともいうべきデザインだ。実際に着用してみると、小振りな襟は素直に立ち上がり、襟元をスタイリッシュに見せる。欧米人に比べると首が太く短い日本人には、その体型を補って、むしろとても良く似合うのだねえ。今となってはいつ、どこのメイカーが創出したか調べる術もないけれど、日本の洋服観もここまで成長したという事だ。

絵と文・ふじたのぶお
[PR]

by foujitas | 2009-06-19 17:25 | 洒落日記  

愛情と愛着

f0227716_17251292.jpg

洗濯機が故障した。朝になって気付いたら、床が水浸しになっていて騒動が始まったのである。原因を探るために分解してみると、取水口にある樹脂製の部品が経年劣化によってひび割れ、圧力を受けた水道水が噴き出していた。修理を試みるも、塩化ビニルの一体成形では手が施せない。部品の供給体制はすでに終わっていて、つまり選択肢は洗濯機を買い替えるしかない。他の機能は全く衰えておらず、ほとんど心外な買い物である。

日本の工業製品の精度や信頼性は世界的にみても評価が高く、近年では円熟の領域にあるといって良いだろう。それらの製造は多くが自動化され、均一で高度な品質を保つようになった。

しかし一方で「職人」と呼ばれる熟練工は、発達と反比例するように激減した。物事はコンピュータによって細かく設計され、寸分違わぬ精度でロボットが製造する。できあがった製品は、ほぼ設計された通りに劣化が進み、やがて使いたくても使えなくなる。

かつてモノを作る人、使う人が持っていた愛情や愛着は、現代の道具にとって無駄な代物だったのか。

一足の靴がある。すりへった底を張り替え、何年も使い続ける理由の一つは、履く人の足に馴染んだ中底が貴重だからであり、その感覚が愛着を培う。修理をする職人は、長年使い込まれた革を優しく手当する愛情を忘れない。そんな時代のほうが良かったなあ。

絵と文・ふじたのぶお
[PR]

by foujitas | 2009-06-12 17:24 | 洒落日記  

若者のファッション感

f0227716_1675675.jpg

いつも磯で竿を並べる御仁と釣りながら話した。「いまどきの若いモンは可愛そうな。何もかも完成してしもうた時代じゃ」洋服に限ったことではなく、おおよそ昨今の若者がクルマや食べ物に頓着しなくなったのは、それなりの理由があるという。

団塊世代からその子ども世代は、高度経済成長を肌身で体験してきた世代。自動車も衣服も、それまで野暮だった物が年を追う毎に洗練されていく有様を、暮らしの中で感じてきたのである。次々に実現されるクルマの高性能化や斬新なデザインが憧れを招き、豊かなアメリカを再現するアイビーファッションが若者の心を捉えて離さなかった。羨ましく思う気持ちは人を駆り立てるもの。少しでも上を目指して、時の彼らは自ら求めて行動したのである。

景気が減衰した現代。しかし物資は過剰なほど有り余り、くまなく情報は伝えおよび、あらゆる物や事は高度な完成の領域に達した。血気盛んな若者が本来は持っていたはずのハングリー精神やパイオニア精神は意味を成さなくなり、探し求めなくても手に入れられる時代になった。欲求を満たすために競い合う必要が無くなったという事だ。

一所懸命に上を向いて目覚ましい発達を遂げたにもかかわらず、理想的な社会ができたと思ったが、そこには新たなハードルが待ち受けていたのだねえ。格好良い物、強い者に憧れる動物の本能は何処へ消えてしまったのだろうか。少年よ大志を抱け。

絵と文・ふじたのぶお
[PR]

by foujitas | 2009-06-05 16:07 | 洒落日記