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メガネの装い

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中学生以来ずっと使っているメガネは、かつてクラシックカーレースを嗜んでいた頃、一度だけコンタクトレンズに変えようと試みたことがあったが、深夜の国道でオープンカーを運転していた最中、抜き去ったトラックの粉じんが目に入り、言い得ぬ恐怖体験をした。それであっさり諦めてメガネは今に至っている。恒常的にメガネを使用している人の顔は、それが素顔とセットになって記憶されているせいか「メガネ顔」という。

思えばこれまで買い揃えたメガネは数知れず、様々な色や形の物を使ってきた。メガネという代物は、実用性とファッション性を兼ね備えた重要なアイテム。長らく付き合うだけに、何でも良いというワケにはいかない。

クラシカルなべっ甲風のボストングラスや、アメリカ懐古調のウェリントングラスを始め、昨今では著名な工業デザイナーの作品までが製品化され、その選択肢は限りなく増えた。一部ではキャラクターを創り上げるために、視力調節を必要としない人までがメガネを着用していて、これをファッショングラスと分類しているという。

顔の中でも、相手に強く印象づける目元の様子を変化させるメガネだ。顔の輪郭だけでなく、社会的立場やTPOに配慮した正しいメガネ選びは男の必須科目。スーツと同じく、充分な吟味のもとに選びたいものだねえ。

尤も昨今では近視に加えた老眼が始まり、その選択肢は乏しく、結局は跳ね上げ型のシンプルなメガネが盟友となってしまったが。

絵と文・ふじたのぶお
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by foujitas | 2010-02-26 17:23 | 洒落日記  

鏡を使う

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男性に比べて女性は鏡を使う機会が多い。いにしえの時代から美に対して畏敬の念をもってきた女性は、朝な夕なにその姿を鏡に映し、髪型や装いを余念なく整えていた。それはしかし、少なくとも殿方に見られてはならぬ嗜み。社会の中で礼節を重んずる当たり前の精神である。

さて、その鏡を現代の殿方はどれほど使っているだろうか。先頃、岩国のケーブルテレビ番組に出演する用向きがあって、山手町のスタジオを訪れた。二台のカメラと撮影スタッフ、それに番組のホストであるところのヤスベエ氏が隣へ腰掛け、照明が一際明るくなった。緊張が高まった直後、「あ、ちょっと待ってください」思わず撮影が始まるのを制し、目の前に置いてある鏡の前に歩み寄ったのだった。日常生活の中では、見られている感覚は小さいが、いざテレビに映るとなると、己の知らぬところで衆目を集める。つまり、見られている事に大きな意識が働き、にわかに身嗜みに綻びは無いだろうか、と不安に包まれたのであるねえ。

男は実のところ、朝起きて顔を洗うとき以外、あまり鏡を使う習慣が無い。「見た目よりも中身じゃ」と強がってみても社交術は養われぬもの。折りあれば鏡に映した自身の姿を視ることも美学。ただし、電車内やコンビニの入り口で、所を構わず手鏡を開いて化粧直しなど言語道断なのである。

絵と文・ふじたのぶお
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by foujitas | 2010-02-19 17:22 | 洒落日記  

自動車のファッション観

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日本の自動車史は、まだ浅い。政府が打ち出した国民車構想により、五〇年代終盤になってスバル三六〇やパブリカが生み出され、ようやく日本のモータリゼーションは幕を開けた。まもなく東京オリンピックが開催され、全国の道路インフラは急速に拡充。高度経済成長の追い風を受け、日本の自動車は目を見張る進化を遂げたのだった。

自動車の流行やファッション性は、洋服と同じく世相と密接な関係を持っている。目覚ましい進化の過程では、自動車先進国の技術に追いつき追い越せ、と国民が一丸となってまい進した。より速く、より美しく、よりカッコイイことを羨望して、美しい自動車がきら星のごとく生み出された。ホンダS、フェアレディZなど、欧米でさえ震かんさせる自動車が日本人によって造られたのであるねえ。時代はまさにアイビーブームの真っ直中。

やがてバブル経済が泡のごとく日本を包む。それまで強いモノに憧れていた人々は、ソーシャルという摩訶不思議な言葉に酔いしれ、自動車は無意味に飾られた。ソアラは時代の申し子であった。

あえなく潰えたバブル景気の後には、返す波のように空前の不況が押し寄せた。エコが声高に叫ばれ、人々の関心は、かつてのスポーツカーとは対局に向いていまっている昨今。これが時代というものだけれども、あの低く構えた流線型の自動車で、ビートルズを聴きながら重たいハンドルをねじ伏せた日を忘れたくない。

絵と文・ふじたのぶお
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by foujitas | 2010-02-12 17:21 | 洒落日記  

紺と黒

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「おせんべつにしたいのですが、ネクタイを見せてもらえますか」二人の美しい女性が店へいらした。聞けば三十歳半ばの後輩が転勤する事になり、慰労を込めて同僚から贈りたいという。すかさずご当人の様子を尋ねてみると、やはりダークスーツが多く、いつも黒っぽいストライプ柄のスーツを着用している、と彼女たちは口を揃え、そして「地味なのよね」と付け加えた。

さて、いつ頃から日本人は黒いスーツを好むようになったのだろうか。その昔、リクルートといえば紺色のスーツであり、ブレザーなら「紺ブレ」と呼んだように、黒よりもむしろ紺が好まれていたはずだ。バブル経済が終わり、景気が下降線をたどると同時に、どうやら黒いスーツが台頭してきた記憶がある。それは主に若い世代に見られた現象であり、いまから十数年前の成人式には、ほぼ全員が真っ黒なスーツで岩国市民会館へ集っていたのである。主導権を握ったのはファッション雑誌ではなく、テレビの中で金髪にして歌う音楽バンドだった。サイケデリックな舞台衣装と社会人として分別のある服装の区別が、彼らには上手くできなかったというワケか。

服装術は本来、先輩を敬い、後輩を労う中で培われるもの。桜色のきれいなネクタイを選んでくださった彼女たちを見送って、ふと思うのだった。君たちがオジサンになったとき、困ることの無いような人間関係を築いておきたまえ、若者よ。

絵と文・ふじたのぶお
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by foujitas | 2010-02-05 17:20 | 洒落日記