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カットソーの衿台

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「衿台(えりだい)」とは近年、注目されているシャツを構成するパーツの一つである。首の周りにあって、衿の土台にあたる部分の布地。シャツの着心地や着用したときの映りを左右する、立体裁断の要といえる。

一般的にシャツといえば、ボタンダウンシャツのような綿織物である布帛(ふはく)と、ポロシャツに代表されるカノコ編みによって拵えるニットがあり、言葉は実に紛らわしい。前者を単純に「シャツ」あるいは「綿シャツ」と呼び、後者は、切って縫い合わせるという意味の「カット・アンド・ソー」を簡略化した造語。本来は業界用語だったが、ファッション雑誌が連呼し、すっかり市民権を得た。

さて、柔らかい肌触りのカットソーは洗濯後もアイロンをかける必要が少なく、カジュアルな着こなしには重宝する洋服。かつてはワンポイントししゅうを施し、様々なブランドがしのぎを削った記憶はまだ新しく、現在でも多くのファンに支持されている。

そのカットソーに少し異変が起きた。ポロシャツの衿にはジャージ素材の布が縫いつけられていて、ボタンを外して着ると衿は体に沿って寝てしまう。そこで首が短い日本人の体型をスタイリッシュに演出するべく、シャツの衿と衿台をポロシャツに合体させたのであるねえ。

一見するとポロシャツ。しかし首が細く顔が小さく映る今時の流行。イイじゃない。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2008-07-04 18:25 | 洒落日記  

スリムフィット

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近頃、洋服屋でパンツやジャケットを試着してみると、やけに窮屈に感じる事がある。同じサイズ表示の服を着ても、なんだか腹周りの余裕が少ない。女房に気取られぬよう、試着室の中で「わしゃ、太ったかのう?」と小さく口を衝いて出るのである。

オジサマ諸兄。けっして自責の念に駆られることはない。なぜなら最近の洋服は、あきらかに細身の仕立てで造られているので、同寸法でも小さく感じるのは至極当然。なにも腹ばかりのせいとは限らない。

バブル景気に沸いた当時、メンズファッションは著しくサイズが乱れた。肩幅や胴周りは大きく、袖も長い。それをイタリア風だといって誰もがダブダブのスーツを着用し、日本列島の中で互いが格好良いと認め合った。そんな経験則を持つ世代の洒落者が細身の洋服に袖を通したら、余計に小さく思えてしまうのだ。

しかし、その前を思い出してみられよ。アイビーファッションが全盛だった頃、ブレザーもボタンダウンシャツも細くスタイリッシュに仕立てられていた。はにかみつつ袖を通して、これが大人の洋服なんだ、と感慨にふけっていたはずである。

いまさら学生のような体格に戻すなんて望むべくもないけれど、さきごろメタボ検診が義務化された。バブリーなサイズに慣れてしまった体格を、この際ちょっと見直してみるかね。スリムフィット、なにくそ。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2008-06-27 18:24 | 洒落日記  

クールビズの行方

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一年の半ばにさしかかると毎年、梅雨が訪れる。気象学の見地では、今年に限ると珍しく中国地方の入梅が遅いというが、暮らしの中では慣習化された「衣替え」がなされ、同時に「クールビズ実施につきネクタイの着用を控えている」という旨の張り紙がオフィスの入り口などに見受けられる。

かかる告示文書の賛否論はさておき、礼節を重んじる、実に日本人的なコミュニケーション手法であり、張り紙の向こう側には「世間はそう言うが、本当にノーネクタイで大丈夫なんじゃろうか」という社会人の苦悩が見えるのである。そりゃあそうだろう。古今東西、ビジネスマンの首には、四季に欠くことなくネクタイが結ばれていたのだから。

代表者や取締役は達観できる立場にあるけれど、なかんずく中間管理職に勤しむ身分の悩みは大きい。なぜなら来客や訪問を行う実働部隊のトップである場合が多く、それは最も儀礼的な事柄に気遣いが必要な立場だから、やはりスーツとタイはきちんと着こなしておきたいと考えてしまう。しかし一方で上司がネクタイを解かない限り、大勢の部下は、企業の方針だからといって堂々とノーネクタイで過ごすには、少し気が引けてしまうのだねえ。

たかがネクタイ一本で物議を醸すクールビズもおかしいが、昨今のような燃料資源の高騰にあっては、洋服にとどまらずエネルギーの浪費について考え直さねばならんなあ。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2008-06-13 18:22 | 洒落日記  

着こなしの優先度

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錦川の鵜飼いが始まった。錦帯橋ほとりのホテルで今年も鵜飼い開きが行われ、伝統文化の継承と「錦帯橋鵜飼い」を愛してやまない大勢の人々が会場を埋めつくした。神事や式典が執りおこなわれた後、今年も鵜飼いを観覧する屋形船への招待があった。

川面に近い目線で見る横山地区や城山の風光明媚なことは、おとずれた誰もが感慨深く思うにちがいなく、身近に親しむことができる幸いを、やわらかい川風に吹かれつつ改めて思うのだった。

さて、かかる鵜飼い開きの日。いつも、はたと困った状況に陥る。式典に招かれて参上するには当然、ホストに対して礼を逸せぬ装いが必須。TPOを唱える洋服屋がしくじったでは沽券にかかわる。さりとて鵜飼いを観覧するにあたり、堅苦しい背広というのも切ない。せっかくの機会には開放的な気分で錦川の自然と伝統、そして美酒を存分に味わいたいからねえ。

考えた果て、己の立場をかんがみて、ベージュ色の麻ジャケットに目出度く明るいピンク縞のシャツを選んだ。敢えてタイは結ばず、あくまでもリラックス気分を尊重し、かつ失礼ない着こなしである。そうして着席していると、同じような着こなしで白いコットンジャケットを着けた人物が壇上へ登られた。ふむ、なかなかどうして県知事さん。

今年の夏も錦帯橋鵜飼いでスローライフを楽しもう。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2008-06-06 16:20 | 洒落日記  

プレッピー

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アイビールックというと「ああ、アレね」と誰もが理解を示す一つの固有名詞となっている。ひもとけば一九六〇年代にアメリカで流行した東部のエリート大学生のスタイル。ハーバード大学やイェール大学ではボタンダウンシャツやコットンパンツが人気を博し、後に日本の若者に大きな支持をうけた。ちょうど団塊世代が青年だった頃の事である。

栄枯盛衰を経て脈々と続くアイビーファッションは、一九八〇年代に再び日本で脚光を浴びた。やはりアメリカの影響が及んだ流行だったが、それは少し誇大なファッションだった。

プレッピールック。源を辿るとアメリカではなく英国が見えてくる。名門大学へ進学するためにパブリックスクールがあり、これを目指す学校がプレップスクール。したがって当該年齢は七歳から十三歳と幼く、ようするに「お坊ちゃん」のスタイルを模したものだった。本来は全寮制の宗教思想に充たされた厳格なライフスタイルであるけれど、そんな彼らの気さくな一面だけを採り上げ、まずアメリカの大学生が気取った。続いて日本では、ボートハウスに代表されるトレーナーに正ちゃん帽、コットンパンツにデッキシューズという極めてコアな格好が一世を風靡したのだねえ。

今年の夏、ボタンダウンシャツやポロシャツの重ね着が目立つのは、どうやらプレピーの再来か。とりもなおさず仕掛け人は、時の正ちゃん帽世代なのだから。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2008-05-30 15:12 | 洒落日記