同窓会

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盆と正月。なかんずく休暇が長い夏の半ばには、各所で同窓会が催される。学年や学校単位の大がかりな会があれば、何とはなく学友が集って旧知を温める席もあり、巷では「おお、久しぶりじゃのう」と宴が盛り上がる。これが中年世代の同窓会になると感動もひとしお。男はみな、頭髪や腹周りを気にしながら、しかし杯を傾けては饒舌に過ごすのだった。

いつもの暮らしの中に居合わせない人と時間を共有する同窓会では、やはり着ていく衣服、その日の出で立ちが気になるもの。女性は慣れた手つきで程々の化粧をし、軽やかに着こなした洋服で参集するが、はたと困るのが中年男性である。普段着では忍びなく、さりとて一張羅というのも気恥ずかしい。さらには床屋へ行っておくべきではなかった、など日頃は頓着しない事柄まで気になって仕方がなく、内心は青春時代のようにソワソワと落ち着かないのだねえ。

男子諸兄。同窓会の奥義とは、まずもって「バリッ」と着こなすべし。くたびれた普段着で座ってしまっては、せっかく同席したあの娘の百年の恋も冷めるというもの。とりわけ穴の広がったベルトや、色褪せたソックスなどにはご用心召されよ。ン十年ぶりの彼女も、間違いなく青春の瞳をもって隣りへ座っているはずなのだから。

実をいうと明日はその同窓会にて、いまさら自戒する洋服屋なのだった。呵々。

絵と文・ふじたのぶお
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# by foujitas | 2009-08-07 12:42 | 洒落日記  

オックスフォードクロス

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「こりゃあ厚手じゃね。冬物じゃないの」メンズショップの店頭で、しばしば夏になると出くわす一幕。白やブルーのシャツを訝しく手に取って話す向きは少なくない。洋服屋がもう少し親切な商品説明を付けておけば良いのだが、それが無ければ誰もが勘違いをしてしまうシャツの生地だ。

オックスフォードクロス。一般的に「オックス」と省略して呼ぶことが多い木綿の生地は、たてよこ共に二本の甘く撚った引き揃え糸によって織られたシャツ用の服地。通気性を持たせるため、やや太い糸を使うことから生地に厚みが生まれ、ちょっとした重量感を覚える。

本来、ドレスシャツに用いる服地はシルクだった。後に綿糸の加工技術が発達し、シルクのような木綿のシャツ生地が一般化した。これがカッターシャツによく見られる「ブロードクロス」と呼ぶ生地である。しかし細い糸で目が詰まっているので、いかにも夏には暑い。そこでスコットランドの機織り屋が考案したのが、件のオックスだった。ケンブリッジやハーバードなど大学都市の名前を付けた他種の生地もあったというけれども、今となっては定かではない。

由来はどうあれ、夏を快適に過ごす目的で考案されたオックスフォードクロス。洗い晒した白いボタンダウンは、クールビズにも最適なシャツなのだねえ。

絵と文・ふじたのぶお
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# by foujitas | 2009-07-31 12:41 | 洒落日記  

靴を水で洗う

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靴において、それまでの手入れの概念を革命的に覆したのは、とりもなおさず「サドル・ソープ」だった。小遣いを貯めて健気に購入した上等の靴は、雨の日には使わないほうが無難と教わり、天気予報を見ては足を入れる好機をうかがっていた靴だ。あろうことかその靴に、自らの手で水を浴びせかけるというのである。

当時は手入れ用品の問屋と試行錯誤を繰り返していた頃。見たことも無いクリーム状の薬剤や、奇妙な形の様々な道具を欧州各国から取り寄せ、説明書きを翻訳しつつ互いの私物である靴が実験台になった。中には誇大表示と思える説明や、うっかり誤って致命的なダメージを与えた製品など、それはまさに玉石混交の有様。靴用石けんは、そんな中から掘り出した。

本来、皮革は雨や水に対して丈夫である事を知っていたからこそ、縫い合わせて靴の材料にあてられたものである。雨天も厭わぬ乗馬の道具にも古くから用いられた。そして彼らは同時に、皮革を長持ちさせるための手入れも考案していたが、やんぬるかな日本へ輸入されたのは皮だけでしかなかったのだねえ。

件のソープは動物性油脂で作った石けん。表面の汚れを落とすより、皮の水分と脂分を最適化することに重きを置く。あえて靴を水で濡らし、石けん成分を補うことで、相反する水と油が同時に補給でき、じっくり乾燥させれば最適化が成される優れ物。

絵と文・ふじたのぶお
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# by foujitas | 2009-07-24 12:40 | 洒落日記  

デリケートクリーム

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靴の手入れに興味を持ったのは、いまから三十年ほど前のことだった。当時はまだ靴墨という品物が幅を利かせていた時代で、靴の手入れというと、そのワックスをひたすら靴へ擦りつけ、ピカピカの光沢を醸し出すことを指していた。木綿の布に加え、極細のナイロン繊維で摩擦をおこすと光沢は一段と増し、鼻高々に街を歩いていた。

ところが美しく輝く靴は、なぜか突如としてひび割れたのである。ちょうど革にシワが寄る部位がパックリと口を開け、「こんなに磨いとるのに、何でじゃ」と途方に暮れたことが忘れられない。それから靴、いや革について調べ始めた。手塩に掛けた靴が何故傷んでしまったのか、その真相を知りたかったのである。

まず靴墨とは何か。革のコンディションとはどういう事か。どんな道具をどのように使えば靴を長持ちさせることができるのか。その答えは英国にあったのだねえ。

古来から馬具に革を用いた欧州では革のことを知り尽くしていたけれど、木や縄を用いた日本において革は、やはり舶来した素材でしかなかった。大きな違いは、ここにあった。その答えとは、さて。

水と脂。すなわち革の良い状態を保つためには、適度な水分と脂分を含ませておくことが大きな条件なのである。靴墨は化粧品でいうところの口紅であり、肝心なのは革と対話し、栄養を補うこと。デリケートクリームには英国王室御用達と記してあった。

絵と文・ふじたのぶお
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# by foujitas | 2009-07-17 12:39 | 洒落日記  

梅雨明けと靴

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天気予報が梅雨前線の動きを説明していた。空梅雨傾向にあるとはいえ、列島はまだ梅雨の時期。曇り空からパラパラと雨が落ちてくる日も少なくない。「雨に唄えば」と聞いてジーン・ケリーやフレッド・アステアを思い浮かべる向きは相当な洒落者と思われるが、今はもう昔の事になってしまったか。

さて、雨が降っても靴は暮らしの必需品。とりわけ雨用の靴を履けば良いけれど、多くは晴雨兼用。革靴を水たまりや雨で濡らしてしまうのもやむを得ないのが実情だ。高級な靴は傷んでしまいそうで、やはり不安が拭えないもの。

しかし靴に採用された革、とりわけ牛の皮革は本来、高い耐水性を持っている。その耐水性ゆえに古来から革は、靴や馬具など屋外であらゆる天候にさらされる条件下に相応しいと見出されたのだ。ところが高価な舶来品だった靴は、「雨の日には傷むので履かない方が良い」とまことしやかに流布され、いつのまにか雨は靴の大敵となってしまった。

問題は後の手入れにある。雨にかかわらず濡れた革をそのまま放置すれば、靴の価格を問わずどんな物でも傷んでしまうは必定。それでなくても現代住宅の下駄箱は、湿気が多い構造なのだからねえ。

本来は通年。しかし最も肝心なのは、梅雨明けの今時期に正しい手入れができるか否かが、大切な靴の寿命を司る。上手く使えば十年は付き合えますぞ。

絵と文・ふじたのぶお
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# by foujitas | 2009-07-10 12:38 | 洒落日記  

クールビズに違和感

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物議をかもした日本郵政の人事は、先頃の株主総会で前任者の続投が決まったという。株主の議決が国民にとって良い事だったか否かは計り知れぬけれども、それを報じるテレビ映像を見ていて、少しがっかりしてしまった。総務大臣が、再任された社長に認可書を手渡すシーンである。

五年めとなるクールビズは、ときの環境省が推進して始まった夏の仕事スタイル。空調を抑制し、涼しげな着衣で仕事を進めることで地球温暖化を防止しようと提唱された。結果的に男性はタイを外し、シャツの襟を開け放つ着こなしが定着してしまい、いつの間にかノーネクタイこそがクルービズの象徴と誤認してしまった経緯がある。

そもそもスーツとドレスシャツを着用していながら、タイだけを結ばずに過ごす着方は、明らかに要を欠いている。画竜点睛を欠く出で立ちを、もしも互いが認め合うことがクールビズだというなら、それは大きな勘違いだ。あくまでも便宜的にネクタイを外して過ごすのであって、公の立場で、しかもテレビカメラが向けられ、大衆の代表として立ち振る舞うのならば、ネクタイは結んでいて然るべき事。

再任された社長は当然のようにタイを結び、認可書を手渡す大臣がタイをしないなど、マナーの欠如も甚だしい。それを是として持てはやすとしたら、やんぬるかな何処の誰が政権を取っても、未来に大きな期待などできないねえ。

絵と文・ふじたのぶお
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# by foujitas | 2009-07-03 17:27 | 洒落日記  

白い靴

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学校制服には広く謳われる「白い靴」であるが、これが社会に出ると途端に縁が薄くなる。それもそのはず、学生服を制限した理不尽とも思える白い靴は、どうやら運動靴を指していて、大人が白い革靴を履く事とは目的や趣が異なる。

ダークスーツを着用すると、靴はズックではなく革靴。それも黒やこげ茶という濃い色が好まれる。色調を揃えて着こなすことは大切なマナーだから、分別のある大人は当然、そういう選択をするだろう。都市生活者にとって白い靴は、だからほとんどリゾート専用のアイテムとして見られるようになった現代。

しかし日本の洋服史を振り返ってみると、素直に欧州の文化を受け容れていた初期には、麻のスーツや帽子など、夏用の素材やアイテムは数多くあった。白い靴も当たり前に舶来し、当時の伊達男の足元を飾ったのである。今にいうビジネスマン、すなわち当時の商人や政治家たちはみな、涼感溢れる白やベージュの洋服と凝った白靴を好んだ。

繰り返される好不況を越えるごとに、なぜか白い靴は市場から姿を消した。やはり応用性に乏しく、使う機会が少ない割に、価格だけは一人前だから、無用な贅沢品と烙印を押されたようなものなのだねえ。

いま一足の白い靴が店にある。イタリア製の繊細な仕上げは素晴らしい履き心地。定額給付金は使ってしまったので、プレミアム商品券で手を打ってみるか。呵々。

絵と文・ふじたのぶお
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# by foujitas | 2009-06-26 17:26 | 洒落日記  

ワイドカラー

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ワイドカラー。正しくは「ワイド・スプレッド・カラー」と名付けられた襟型は、かのウィンザー公が愛用した、大きく開いた襟のデザインをいう。シャツの襟は標準的なレギュラー襟のほか、やや短く仕立てたショートポイント、襟先をボタンで留めるボタンダウン、タイの結び目を持ち上げるタブカラーやピンホールカラーなどがある。

これら代表的な男のシャツの襟型は、もう何百年と基本的な形を変えていない。それほど完成度が高く、国際的に広く認められた証でもある。デザイナーの気まぐれで新たな襟も考案されるが、それらは総じて短命に終わってしまうのが常だった。

ところが近年、思いの外長生きしている襟のスタイルがある。一過性の仕立てとたかを括っていたが、翌シーズンにはバリエーションが増し、ついには異なるメイカーまで採用してしまった。これは、もしかすると二十一世紀になって男のシャツに定着する、最初の襟型かも知れない。

ワイドカラーの襟先にボタンを追加した「ワイド・ボタンダウン」ともいうべきデザインだ。実際に着用してみると、小振りな襟は素直に立ち上がり、襟元をスタイリッシュに見せる。欧米人に比べると首が太く短い日本人には、その体型を補って、むしろとても良く似合うのだねえ。今となってはいつ、どこのメイカーが創出したか調べる術もないけれど、日本の洋服観もここまで成長したという事だ。

絵と文・ふじたのぶお
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# by foujitas | 2009-06-19 17:25 | 洒落日記  

愛情と愛着

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洗濯機が故障した。朝になって気付いたら、床が水浸しになっていて騒動が始まったのである。原因を探るために分解してみると、取水口にある樹脂製の部品が経年劣化によってひび割れ、圧力を受けた水道水が噴き出していた。修理を試みるも、塩化ビニルの一体成形では手が施せない。部品の供給体制はすでに終わっていて、つまり選択肢は洗濯機を買い替えるしかない。他の機能は全く衰えておらず、ほとんど心外な買い物である。

日本の工業製品の精度や信頼性は世界的にみても評価が高く、近年では円熟の領域にあるといって良いだろう。それらの製造は多くが自動化され、均一で高度な品質を保つようになった。

しかし一方で「職人」と呼ばれる熟練工は、発達と反比例するように激減した。物事はコンピュータによって細かく設計され、寸分違わぬ精度でロボットが製造する。できあがった製品は、ほぼ設計された通りに劣化が進み、やがて使いたくても使えなくなる。

かつてモノを作る人、使う人が持っていた愛情や愛着は、現代の道具にとって無駄な代物だったのか。

一足の靴がある。すりへった底を張り替え、何年も使い続ける理由の一つは、履く人の足に馴染んだ中底が貴重だからであり、その感覚が愛着を培う。修理をする職人は、長年使い込まれた革を優しく手当する愛情を忘れない。そんな時代のほうが良かったなあ。

絵と文・ふじたのぶお
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# by foujitas | 2009-06-12 17:24 | 洒落日記  

若者のファッション感

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いつも磯で竿を並べる御仁と釣りながら話した。「いまどきの若いモンは可愛そうな。何もかも完成してしもうた時代じゃ」洋服に限ったことではなく、おおよそ昨今の若者がクルマや食べ物に頓着しなくなったのは、それなりの理由があるという。

団塊世代からその子ども世代は、高度経済成長を肌身で体験してきた世代。自動車も衣服も、それまで野暮だった物が年を追う毎に洗練されていく有様を、暮らしの中で感じてきたのである。次々に実現されるクルマの高性能化や斬新なデザインが憧れを招き、豊かなアメリカを再現するアイビーファッションが若者の心を捉えて離さなかった。羨ましく思う気持ちは人を駆り立てるもの。少しでも上を目指して、時の彼らは自ら求めて行動したのである。

景気が減衰した現代。しかし物資は過剰なほど有り余り、くまなく情報は伝えおよび、あらゆる物や事は高度な完成の領域に達した。血気盛んな若者が本来は持っていたはずのハングリー精神やパイオニア精神は意味を成さなくなり、探し求めなくても手に入れられる時代になった。欲求を満たすために競い合う必要が無くなったという事だ。

一所懸命に上を向いて目覚ましい発達を遂げたにもかかわらず、理想的な社会ができたと思ったが、そこには新たなハードルが待ち受けていたのだねえ。格好良い物、強い者に憧れる動物の本能は何処へ消えてしまったのだろうか。少年よ大志を抱け。

絵と文・ふじたのぶお
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# by foujitas | 2009-06-05 16:07 | 洒落日記