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袖ボタンの数

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開いた衿を持つ背広は、どれも同じような格好でありながら、実は少しずつ細部が異なるもの。目立つところでは前立てのボタンの数がある。三ボタンは胸元が狭くなり、二ボタンはVゾーンが深く広がって見える。好みは別にして、この仕立てのデザインには確固たる理由が存在している。

現代の背広のデザインは昔の軍服に由来するもの。すなわち学生服に見られた詰め襟型の上着である。詰め襟を折り曲げ、胸元を開くことで背広の象徴的な「菱衿」ができあがるところからも、それは理解できる。そして上着を正面から見たとき、最もバランスが良く、機能を果たすと計算されたボタンの数は五個だ。

胸元を開いたとき、上から何番目のボタンの位置で前身頃を折り返すか。これによって三ボタンのほうが二ボタンよりVゾーンが狭くなるのである。

様々にある背広の意匠の中で、前立てとは反対に最も見過ごされているのが袖口にあるボタンの数ではないだろうか。袖ボタンは本来、前立てにあったの五個から、折り返して残ったボタンの数を差し引いた残りの数。簡単にいえば、前立てと袖のボタンを足すと五個、という目安のもとに仕立てられていたもの。だから三ボタンの背広の袖は二個。タキシードなど一ボタンの前立てなら、袖は四個が正しい。しかし、こんな洋服文化も時代と共に薄らいで行くのだろうかねえ。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2009-10-23 18:42 | 洒落日記  

ジャケブル

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「ジャケブル」とか「シャツジャケ」とか、およそ何を指す言葉か想像さえ及ばない造語が、いまファッション業界に溢れている。十月は来春夏物の展示会シーズンで、先の台風を追いかけながら東京へ赴いたのだった。そこで見た半年先の洋服は、やはり昨今の傾向を引き継ぐキレイ系カジュアル路線だった。

企画部に所属するという若い男の説明は、まずメインステージへ飾られていたジャケットだった。パッドや芯地を用いず、やたらとステッチが目立つ細身で着丈の短い背広だ。彼は「これはジャケブルです」といって話し始めた。

要するに背広の格好は成しているが、ブルゾンのような簡素な縫い方で、素材も敢えて粗野なコットンを用いて作った洋服。ジャケットとブルゾンを足して「ジャケブル」と呼ぶという。

一方で「シャツジャケ」はシャツとジャケットの合いの子。本来は何某かの中へ着こなすべきシャツを、あたかもアウターウェアのように上着として着用する。よってシャツの裾はパンツの外へさらけ出し、前の釦も開け放つ。これをして彼は、今世風カジュアルの着こなしだと言って憚らない。

目新しい流行を意識するのは結構なことだけれども、着崩すことばかりに目を奪われている現代ファッションは何を目指しているのだろうか。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2009-10-16 18:41 | 洒落日記  

ポケットの角度

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何気なく着用しているパンツのポケットに注目してみよう。単に格好が良いだけでは決められないルールがある。

まず尻に二つ。基本的なデザインは左に釦が備わり、右にはハンカチなどを出し入れするために釦が無い。屋外で活動的に過ごすパンツの尻ポケットには「雨ぶた」と呼フラップが付く。文字通り、雨が入らぬよう仕立てられたもので、狩猟に用いたパンツなどに見られたデザインだ。次ぎに前立てに備わるウォッチポケットは、クラシカルな英国調の仕立て。まだ男が懐中時計を愛用していた時代に誕生したデザインである。

腰ポケット。スーツは本来、屋内用として誕生した。その原型は燕尾服やモーニングコートとなって今に残っていて、これらには腰ポケットが無い。なぜなら腰ポケットに物を入れる習慣が無かったのだ。やがてスーツが屋外で用いられるようになって、便宜の向上を目的に腰ポケットが備わるようになった。

スーツのポケットに手を入れると素直に入らなかったり、ヒップサイズが合わないパンツではポケットが開いてしまうが、それは、できるだけ目立たないように仕立てるため、縫い目に沿って垂直方向に付けられたためだった。

縦ポケットにくらべて使いやすい斜め縫いのポケットは、あくまでもスポーティなパンツ。本来はスーツに不向きな仕立てというルールを知っておいて損は無いかもねえ。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2009-10-09 18:40 | 洒落日記  

男の紫色

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お坊さんの袈裟に用いられるなど、古く中国から高貴な色として伝えられた背景があるためか、日本人にとって紫色は少し特別な色なのかもしれない。

ところで、流行色というのは自然発生的に生まれるのではなく、デザイナーや心理学者、果ては経済界や産業界から偉い人が集まり、巷の情勢などを配慮しながら「今年の流行色はコレにしよう」と話し合って決められるという。洋服を拵えるアパレルメイカーは、それを一つの指針として捉え、やはり企画の中に意識される。だから景気が良いときは明るく派手な色が流行し、不況のときには大人しい色が多くなる。

半年前。メイカーの展示会が各所で催され、足繁く見てきた。今は、それら品物が続々と出荷され、店先へ並べられている時期だ。そのシーズンの話題性が高い品物ほど先に売り場へ投入するのが業界のセオリーで、ケースを開いてみると、やけに紫色を使った洋服が目に付く。いずれもやや濃い色合いで、ボルドーというよりパープルに近い。

近代のメンズファッションを振り返ってみると、紫色は男の洋服にはあまり使われる事が無かった。新鮮に感じられるせいか、遂にはテレビのアナウンサーまで紫色のアーガイルニットを着て映るなど、これがなかなかの評判を呼んでいるのである。概ね保守的に着こなす男たちが、敢えて目新しい色にチャレンジしている昨今は、何かを変えたい、変わりたい意識の現れなのかも知れないねえ。頼みましたぞ、新政権。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2009-10-02 18:39 | 洒落日記  

あるベルトの修理

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さきごろ、二十年前のニット製品を修理した一話があった。それは通常の業務範囲を超えたものだったが、可能な事を断る理由はなく当たり前に役割を果たしたのだった。

それから後も修理依頼は少なくなく、多くの方は困った挙げ句に尋ねて来られる。いずれの物も必ず製造工程はあるのに、なぜ修理ができないのだろうか。いや修理ができないのではなく、修理を頼める窓口が見えにくいことが原因なのかも知れない。

とある靴のメイカーは、自社製品以外の修理は受け付けないという。表向きには製造方法の微細な違いが修理の精度を下げるためと言うけれど、その裏にはつまり、顧客の囲い込みをするための付加サービスが無いとは言えない。実際に靴の職人に尋ねると、「完全な元の色や形にはならんが、修理はできるよ」という。そうだろう。いわゆる商業主義が成熟期に達し、サービスという言葉が巷に溢れ、何が本当に必要なのか、どうする事が利用者のためになるのかを見失ったのではないかねえ。

一通のメールが東京から届いた。数年前に購入した革のベルトが不具合を起こしたので修理して欲しい、とあった。ベルトの加工製造をしている職人へ連絡をとり、東京から岩国を経て大阪へ届けると、それは指示した他の箇所まで美しく修繕されて戻ってきた。職人は、自身が手がけた品物を大切に使い続けている人がいた事に、大層感動したのだという。流通業界の過大な競争力が必ずしも良いと思えなくなってきた現代の一幕。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2009-09-25 18:39 | 洒落日記