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オックスフォードの靴

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近代英国の歴史をひもとくとケンブリッジとオックスフォードという地名に出くわす。ともに名門大学や著名な教会が集う場所であり、英国文学にも大きな影響を残している土地だ。とりわけ両校のレガッタ対決やラグビー対決は国民的な話題となって、いまもなお連綿と続けられている。

英国に発祥した伝統的な洋服は多く、いきおいその地名に因んで名付けられたアイテムは、そこかしこに見受けられる。シャツ生地である「オックスフォードクロス」は、本来「ブロードクロス」と呼ぶ細糸のシャツが主流だった当時、彼の地オックスフォードで夏用の服地として用いられた事に由来する名前だ。もう一つ、同じ名前を付けられた洋品がある。「サドル・オックスフォード・シューズ」を始めとする靴の一群は、総じてヒモを結ぶタイプの短靴を指している。

靴の歴史を遡ると、屋外で用いる男の靴は膝下まであるブーツ型に始まる。やがて中深型のブーツになり、後にくるぶしを包むアンクルブーツの時代が長く続いた。近代になって街の整備が進み、砂利や砂の道路が無くなると、靴でくるぶしを覆い隠す必要性が無くなる。そうして誕生したのが、いまの主流となっている「短靴」といわれるタイプの靴。発達が進む都でいち早く、これを使い始めたのが、時のオックスフォードの人々なのだねえ。紳士たる者、ヒモ靴の着脱は面倒でも必ず解いて結んでくだされ。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2010-03-19 17:25 | 洒落日記  

総理大臣の不覚

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消臭効果を持つ繊維が特許を取得する時代であり、たしかに社会生活においてエチケットは大切なことに違いない。しかし昨今の消臭剤の広告を見ていると、「加齢臭」を題材におもしろ可笑しく主婦層へアピールしているつもりなのか、ずいぶんとオジサンは残酷な言われ方をしたものだ、と俄に憤りを覚えてしまうのである。

閑話休題。いつの頃からか総理大臣のぶらさがり記者という方々が毎日、官邸で取材をするようになった。各局の新聞やテレビの記者が向けるカメラの前に立つ内閣の面々は、みな礼儀正しくダークスーツを装い、毅然とした態度で会見に臨む姿は、もはや日常的な風景ではないだろうか。わずかなホンネを聞き出そうとする記者陣営と、志を貫こうとする政治家の攻防は見応えがある。

国会討論やお膳立てをした記者会見と違い、ぶらさがり会見にはレジュメが無いらしく、先の会見で内閣総理大臣は奥様の選んだというゴールドのタイを結び、強いフラッシュを浴びていた。しかしながらスタイリストも不在であるためか、ダークスーツの肩には白い粉が付着していたのであるねえ。残念無念。

政治家のみならず、人を代表する立場にある人物は常に衆目を集めるもの。一瞬の不覚が品位を落とす。友愛精神を重んじるなら、まず加齢によって衰えるからだを心得て、身嗜みを整えるが礼儀。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2010-03-12 17:24 | 洒落日記  

ニール・ヤング

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彼は使い込んだマーチンのアコースティックギターを肩に掛け、ハーモニカをくわえて、一際まぶしい照明が向けられた雪のステージへ一人で登場した。燃えさかる聖火の下、静かに熱唱が始まると、たちまち数万人の観客は彼の歌声に魅了された。彼は、バンクーバー五輪の閉会式で威風堂々と歌ったカナダのシンガー、ニール・ヤングである。

スノーボード選手の若者が強烈な批判を浴びて幕を開けた冬季オリンピックでは、各国のアスリートが世界最高レベルで競い合い、感動と興奮を生み出した。ニール・ヤングが歌い手として世に出たのは一九六九年の事だったという。七〇年代のフォークロックに名を馳せ、日本でも数多くのファンが知るシンガーだが、競技に参加した若い選手たちが彼を知っていたかどうかは少し興味深い。

ニール・ヤングは黒いチェスターフィールドコートを身につけて銀色のステージへ立った。ロック歌手がフォーマルコートを着用するとは恐れ入ったが、これも彼なりの五輪に対する畏敬の顕れだったのかもしれないねえ。

黒いコートに合わせて彼は、興味深い帽子を被って歌っていた。同じく黒色のハット型。広いツバとフラットで浅いトップが特徴的なそれは、おそらくスペインの伝統的な「コルドベスハット」ではなかっただろうか。今年で六十五歳という、それはニール・ヤングのおおいなる伊達であったか。オジサン万歳。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2010-03-05 17:23 | 洒落日記  

メガネの装い

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中学生以来ずっと使っているメガネは、かつてクラシックカーレースを嗜んでいた頃、一度だけコンタクトレンズに変えようと試みたことがあったが、深夜の国道でオープンカーを運転していた最中、抜き去ったトラックの粉じんが目に入り、言い得ぬ恐怖体験をした。それであっさり諦めてメガネは今に至っている。恒常的にメガネを使用している人の顔は、それが素顔とセットになって記憶されているせいか「メガネ顔」という。

思えばこれまで買い揃えたメガネは数知れず、様々な色や形の物を使ってきた。メガネという代物は、実用性とファッション性を兼ね備えた重要なアイテム。長らく付き合うだけに、何でも良いというワケにはいかない。

クラシカルなべっ甲風のボストングラスや、アメリカ懐古調のウェリントングラスを始め、昨今では著名な工業デザイナーの作品までが製品化され、その選択肢は限りなく増えた。一部ではキャラクターを創り上げるために、視力調節を必要としない人までがメガネを着用していて、これをファッショングラスと分類しているという。

顔の中でも、相手に強く印象づける目元の様子を変化させるメガネだ。顔の輪郭だけでなく、社会的立場やTPOに配慮した正しいメガネ選びは男の必須科目。スーツと同じく、充分な吟味のもとに選びたいものだねえ。

尤も昨今では近視に加えた老眼が始まり、その選択肢は乏しく、結局は跳ね上げ型のシンプルなメガネが盟友となってしまったが。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2010-02-26 17:23 | 洒落日記  

鏡を使う

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男性に比べて女性は鏡を使う機会が多い。いにしえの時代から美に対して畏敬の念をもってきた女性は、朝な夕なにその姿を鏡に映し、髪型や装いを余念なく整えていた。それはしかし、少なくとも殿方に見られてはならぬ嗜み。社会の中で礼節を重んずる当たり前の精神である。

さて、その鏡を現代の殿方はどれほど使っているだろうか。先頃、岩国のケーブルテレビ番組に出演する用向きがあって、山手町のスタジオを訪れた。二台のカメラと撮影スタッフ、それに番組のホストであるところのヤスベエ氏が隣へ腰掛け、照明が一際明るくなった。緊張が高まった直後、「あ、ちょっと待ってください」思わず撮影が始まるのを制し、目の前に置いてある鏡の前に歩み寄ったのだった。日常生活の中では、見られている感覚は小さいが、いざテレビに映るとなると、己の知らぬところで衆目を集める。つまり、見られている事に大きな意識が働き、にわかに身嗜みに綻びは無いだろうか、と不安に包まれたのであるねえ。

男は実のところ、朝起きて顔を洗うとき以外、あまり鏡を使う習慣が無い。「見た目よりも中身じゃ」と強がってみても社交術は養われぬもの。折りあれば鏡に映した自身の姿を視ることも美学。ただし、電車内やコンビニの入り口で、所を構わず手鏡を開いて化粧直しなど言語道断なのである。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2010-02-19 17:22 | 洒落日記