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自動車のファッション観

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日本の自動車史は、まだ浅い。政府が打ち出した国民車構想により、五〇年代終盤になってスバル三六〇やパブリカが生み出され、ようやく日本のモータリゼーションは幕を開けた。まもなく東京オリンピックが開催され、全国の道路インフラは急速に拡充。高度経済成長の追い風を受け、日本の自動車は目を見張る進化を遂げたのだった。

自動車の流行やファッション性は、洋服と同じく世相と密接な関係を持っている。目覚ましい進化の過程では、自動車先進国の技術に追いつき追い越せ、と国民が一丸となってまい進した。より速く、より美しく、よりカッコイイことを羨望して、美しい自動車がきら星のごとく生み出された。ホンダS、フェアレディZなど、欧米でさえ震かんさせる自動車が日本人によって造られたのであるねえ。時代はまさにアイビーブームの真っ直中。

やがてバブル経済が泡のごとく日本を包む。それまで強いモノに憧れていた人々は、ソーシャルという摩訶不思議な言葉に酔いしれ、自動車は無意味に飾られた。ソアラは時代の申し子であった。

あえなく潰えたバブル景気の後には、返す波のように空前の不況が押し寄せた。エコが声高に叫ばれ、人々の関心は、かつてのスポーツカーとは対局に向いていまっている昨今。これが時代というものだけれども、あの低く構えた流線型の自動車で、ビートルズを聴きながら重たいハンドルをねじ伏せた日を忘れたくない。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2010-02-12 17:21 | 洒落日記  

紺と黒

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「おせんべつにしたいのですが、ネクタイを見せてもらえますか」二人の美しい女性が店へいらした。聞けば三十歳半ばの後輩が転勤する事になり、慰労を込めて同僚から贈りたいという。すかさずご当人の様子を尋ねてみると、やはりダークスーツが多く、いつも黒っぽいストライプ柄のスーツを着用している、と彼女たちは口を揃え、そして「地味なのよね」と付け加えた。

さて、いつ頃から日本人は黒いスーツを好むようになったのだろうか。その昔、リクルートといえば紺色のスーツであり、ブレザーなら「紺ブレ」と呼んだように、黒よりもむしろ紺が好まれていたはずだ。バブル経済が終わり、景気が下降線をたどると同時に、どうやら黒いスーツが台頭してきた記憶がある。それは主に若い世代に見られた現象であり、いまから十数年前の成人式には、ほぼ全員が真っ黒なスーツで岩国市民会館へ集っていたのである。主導権を握ったのはファッション雑誌ではなく、テレビの中で金髪にして歌う音楽バンドだった。サイケデリックな舞台衣装と社会人として分別のある服装の区別が、彼らには上手くできなかったというワケか。

服装術は本来、先輩を敬い、後輩を労う中で培われるもの。桜色のきれいなネクタイを選んでくださった彼女たちを見送って、ふと思うのだった。君たちがオジサンになったとき、困ることの無いような人間関係を築いておきたまえ、若者よ。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2010-02-05 17:20 | 洒落日記  

日本人の青色観

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「青い山脈」といえば日本人が好む歌の上位に食い込む、昭和二十四年の名曲。歌詞の中には「青い山脈、緑の谷へ」と歌われる一節がある。間近で目にする森は緑色に見えるが、遠くに眺める山は青く映ったのだろう。それは誰にも異存なく受け容れられてきた。

青色は若々しい事、初々しい事を連想する色として捉えられている。青リンゴは色彩の観点に立てば明らかに緑色の一種だけれども、人々はをれを青いといった。

それでは緑色は如何かというと、たとえば「緑十字」は安全や衛生を表す色として認識されている。さらに信号機の「進め」の色は、よく見ると時代や地域によって青と緑の発色が混在していて興味深い。

戦後の時代に日本人は青と緑に対して寛大な感覚を持つようになった。これは大量に流入したアメリカ的な文化の影響による現象ではないだろうか。はなはだ大雑把な考察ではあるけれど、侘び寂びの感性が現実主義に移り変わった時代に重なるのである。

東部アメリカにはハーバード大学やエール大学など、アイビーリーグと呼ばれる優秀な学校の中にブラウン大学がある。アメリカ人が茶色に連想するのは「大地の恵み」または「健やかなこと」だという。ある英国の心理学者は、その茶色と紫色の組み合わせが「最も調和しない組み合わせ」と唱えている。長い歴史の中で風土として培われた色彩観は、お国柄によって異なるものだねえ。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2010-01-29 17:19 | 洒落日記  

ネクタイ屋の陳情

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大物議員の一件が国会を揺るがしている昨今。さる新聞の片隅に、ネクタイ卸組合がクールビズ廃止を小沢環境相に陳情したと報じる記事があった。たしかに店でもネクタイの売上高は減少傾向にあり、あらゆる流通業界で取扱量は少なくなっているように思え、陳情に行きたくなる気持ちは理解に達する。しかしタイミングがアレだ、ねえ。

さて、ネクタイの役割とは何だろうか。本当に無くしてしまっても支障が無いものならば「ノータイ、ノー上着」も結構。今一度、考えてみるべき時期なのかもしれない。

元々は騎士や戦士が闘いの中で首を保護し、敵方を見分けるためにスカーフが工夫されたというネクタイは、後になって男の首元へ衣装として残った。棒状や蝶型など様々な変遷を辿り、社会生活の中では「身嗜み」や「洒落」の一つとして捉えられ、十八世紀頃にはもう現在の形を成していたという。とりわけスーツを着用するのは、やはり相手に対して礼を尽くす立場である場合が多く、それは同時に、自分自身を正しく評価させるための着こなしである。すなわち現代社会の社交術の一つ。

これが正論ならば、暑苦しいという理由だけでネクタイや上着を着用せず、どこそことなく立ち振る舞うのは大間違い。敬語を無くしてしまうのと同じで、社交術を失っては社会が成り立たない。よって、必要なときには用いるべし。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2010-01-22 17:19 | 洒落日記  

手縄始め

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「たなわはじめ」と読む。岩国の夏の風物である錦帯橋の鵜飼いは、一年を通して鵜匠と鵜はトレーニングに励み、来るシーズンに備えているもの。年を新たにし、最初の稽古を行っていたのが従来の「初トレーニング」だったが、今年からは鵜匠が初めて鵜に手縄を括ることを機に、岩国の鵜飼いを愛する大勢の人々と一緒になって神事を行い、皆の健勝を祈念しよう、と「手縄始め」に改称された。

故あって末席をいただく事になった当日、錦帯橋のたもとにはたくさんの人が集っていた。出席された大半の方は年配者であり、金髪の無分別な若者の姿は皆無。実に清々しい気分で執りおこなわれた大人の集会であるねえ。

思うに、日々の暮らしの中において、屋内で催される様々なセレモニーは多いけれど、当日のような寒い日の屋外で行われる式典は少ない。つまり「何を着て行くべきか」と、はたと戸惑うことになる。左様、ドレスコートが活躍する数少ない場面だ。

さても如何なものかと思いつつ河原に立ち、三三五五に集う人々の姿を眺めてみると、流石はみな著名な御仁。紳士と淑女はおしなべて確かなコート姿で着席される。一方で報道カメラを持つ方々は、荷物を背負い、活動的なアウターウェアで防寒に余念が無く、その有様は非常に対照的で趣に富んでいた。チェスターフィールドコートの黒が、まったく絵になる錦川の一幕。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2010-01-15 17:18 | 洒落日記