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松の内のジャケット

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松飾りを据えておく松の内は本来、小正月が明ける一月十五日までと決まっていたが、目まぐるしく時を過ごす昨今に合わせたか、いつのまにか七日までとされるようになった。暢気な正月気分で過ごす事が辛抱できない現代の象徴か。

そもそも松の内は、歳神様を迎えるための道標として門松を飾る期間を指す故事。すなわち鏡餅の場所へ神様が鎮座することを想定した習わしである。正月休みにゴロゴロとだらしなく部屋で過ごすなど、もしかしたら罰当たりな事かもしれない。かかる思惑から今年の初詣には、きちんとジャケットを着用してみた。

大勢の参拝者で賑わう白山比咩神社には、お正月に相応しい着物姿のご婦人もあり、手にされた破魔矢や御守りが初々しい。参列について周囲を眺めてみたなら、どうやら若い世代は極めてカジュアルな装いで訪れ、年配者になるほど改まった出で立ちでお参りをされているようだった。風習や縁起を身近に思えばこそ、正月の着こなしに違いが現れるのだろうかねえ。

「背広を着る事が無いけえね」と、堅苦しくジャケットを着る必要が無い社会人は少なくない。無用な代物は持たぬでも良いのだけれども、古今東西、着る物は人柄を表すという。その日、その時の心がけ一つでジャケットを楽しんでみるのも一考。効果的に着こなしてこそ、一流の背広なのである。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2010-01-08 17:17 | 洒落日記  

クリスマスの手袋

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そもそも男が屋外で過ごすときの服装は物々しい格好だった。スーツを着た上にスカーフとコートを羽織り、頭に帽子を乗せて靴にはスパッツを被せ、ステッキを持った手には必ず手袋があった。現代でも結婚式のモーニングコートには、必ず手に手袋を持つ。

時代の進化とともに服装は少しずつ簡略化され、戦後のアメリカ文化の流入によって、それは加速した。男子の頭から帽子が消えたのは、ちょうどこの頃のできごとだ。

それでも毎年、寒さが増してくるとマフラーが売れる。近年ではシワ加工が施された薄手の物や、多色のアクリル毛糸を編んだニットマフラーなどが人気を博す。「首筋の防寒はセーター一枚分の温かさ」というのは、あながちデタラメな話しではないもの。

さて、マフラーとセットにして楽しむのが手袋。北風が吹く中をさっそうと歩く佇まいは、一双の手袋によって際だつ。やはりニットの手袋は比較的安価で人気があるが、いま店の棚へ置いてあるタータン柄の手袋は、なぜかやたらと愛おしい。先頃から一人の女性がクリスマスのプレゼントにするか否か逡巡されている品物だ。洋服屋がお客様より先に買い上げてしまっては元も子もないので、彼女が諦めたらぜひ手に入れようと目論んでいるところ。

しかしねえ、立て続けの忘年会で酩酊し、うっかり置き忘れてタクシーに乗り込んでしまったらどうしましょう。今日はクリスマス。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2009-12-25 17:16 | 洒落日記  

チェスターフィールド

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店に今、あまり見慣れない品物が吊ってある。カシミアコートのオーダーセールを開催している最中、その仕立て見本となるチェスターフィールドコートだ。ラペルと胸ポケットを備えたウールのロングコートは、すなわち背広の裾を長くしたようなデザイン。数多あるコートの中でも、最も格式の高い物として知られている。

英国の洒落者で知られた六代チェスターフィールド伯爵が、十九世紀の当時考案したとされるコートは本来、上衿にベルベットをあてがった極めてドレッシーなデザインだった。後に一般的なドレスコートとして広まっていく中で、上衿は共布となり、前立てのい打ち合いは比翼仕立てに変化した。これを区別するために発展型をセミ・チェスターフィールド・コートと呼ぶようになった。

昨今ご注文をいただく大半は、やはり実用を考慮したハーフ丈のコートだけれども、デザインの選定段階で一度は考えてみるのがロングコート。膝下まで達する長い着丈のコートは、たしかに自転車に跨るにはほとんど煩わしいが、その佇まいは想像以上に美しい。また、屋内で手に提げる姿も優雅で、男の着こなしを全身で物語る。

こういう着こなしがキラリと光るシーンは、たしかに岩国において多くない。しかれども二百年前、伯爵が仕立て屋に造らせた思いつきに因んで、こんどはチェスターフィールドコートが似合うライフスタイルを自ら創造するのも一考なのであるねえ。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2009-12-18 17:15 | 洒落日記  

ピュアカシミア再考

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羊毛製品の最高峰といえばカシミアをおいて他に無い。一頭の羊から二百グラム前後しかとることができず、セーター一枚には四頭の羊の毛が必要と言われる繊維である。カシミアとは、何故かくも珍重されるのだろうか。

温暖な気候で育てられる一般的なメリノ種の羊とは異なり、カシミアはインド北部の高山地帯に位置するカシミール地方に語源をもつカシミア山羊の毛を指す。中国の北西部やネパールのヒマラヤなど、とても寒い地域に生息している羊だ。その羊毛は二つの層に別れていて、外気に触れる外側には太く硬い剛毛が、肌に近い内側には油脂分を含んだ繊細な柔毛が密生しているという。カシミア製品は、この柔毛のみを櫛で梳いて取りだし、手作業によって集められる。それは美しい長繊維で、糸に紡ぐときにも切れる事のない丈夫さを持ち、きれいに染められる。織り上がった布は深い光沢があり、極めて柔らかく、非常に温かい。

しかし余りにも希少性が高いため、採集や紡績のときに出た屑繊維を再びかき集め、これも利用する。カシミア製品の価格に大きな差が生じるのは、単なる中間コストだけの問題ではなく、その素性や使用量も量りにかけられているのであるねえ。

それゆえに一流のカシミアを身につけるのは、温かさや軽さの恩恵を受けるにとどまらず、得も言えぬスノビズムが漂うのである。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2009-12-11 17:14 | 洒落日記  

タブカラーシャツの妙

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タイやラペルの幅は、世界的な流行に倣って緩やかに変動している。派手で大袈裟な装いが格好良いと思う時代があれば、質素で渋い着こなしこそ男の美学と思う時代もある。いずれにしても幅は広くなり続けることも、狭くなり続けることもできず、大小を繰り返すしかない。

そんな中で五十年代のアメリカで流行したナロースタイルは特徴的だった。シャツやジャケットの襟は細く小さくなり、それに合わせてタイもまた細くなった。当時のジャズマンや映画俳優は競って洒落たナロースタイルを着こなし、レコードのジャケット画や銀幕で活躍したのだった。

実はナロースタイルが流行したのはアメリカに限った事ではなく、英国やイタリアなど欧州のモード界でも幾度も登場していたが、丁度、日本のメンズファッションが夜明けを迎えた時代と、アメリカの流行が重なったのである。当時の若人は少ない情報から懸命に新たなデザインの洋服を探し出し、それを模倣して成長を遂げたのだねえ。

タブカラーシャツとは、そんな時代に日本へ届けられた。小さな襟の内側へ「タブ」と呼ぶ釦留めの仕掛けが施されたシャツには、少し細いタイを結び提げる。タイの結び目の裏側で「タブ」を留めると、結び目はスッと持ち上がる。これが如何にも艶っぽい。決して今流行ではないけれど、ちょっと興味が湧いてくるドレスアップの季節。

絵と文・ふじたのぶお

# by foujitas | 2009-12-04 17:13 | 洒落日記